あの日を忘れない

夏の終わりの太陽が、少しずつ色を変え始めた木の葉を照らす頃。

今年も9月11日が終わった。

やっぱり9月11日は忘れられない日。

6年前、テレビで見たあの光景が今も目に焼きついている。

あの夜、私は、ひとりでお酒を飲みながらテレビを見ていた。

のんびりリラックスして、もうそろそろ寝ようかと思っていたちょうどその時に、ブレイキング・ニュースで、突然あの映像が飛び込んできた。

レポート無しの、ただの映像だけ。

民間人のセスナか何かが、操縦を誤って、高層ビルに衝突したのだと、そのときは思っていた。

しばらく待っても、新しい情報が入ってこなかったので、翌朝には状況がわかるだろうと思って、早起きすることにして、テレビを消して寝た。

その日、何が起きたかわかったのは翌日。

恐ろしさで心臓がドキドキして、震えた。

こんなことが起きるなんて。。。

一体、何人の犠牲者が出ているんだろう。

ニュースを見るたびに、増えていく犠牲者の数。

週刊誌に出ていた衝撃の写真。

紙ふぶきのように、あたり一面に散乱する書類。

熱さのあまり、高層ビルから飛び降りる人々。。。

悲惨すぎる光景に絶句した。

ワールドトレードセンターは、その前の年、はじめてニューヨークに行ったときに立ち寄ったところだ。

富と名声の象徴とも言うべき建物。

その高層ビルを眺めながら、こんなビルで仕事がしたかったな。。。

なんて、羨望の眼差しを送っていたものだ。

そのビルが・・・。

衝撃は凄まじく大きかった。

しばらく経つと、当時のいろんな情報が出てきた。

驚いたのが、多くの人が、緊迫の瞬間に、最愛の人に電話をかけて、最後の言葉を残していたこと。

ある者は、「I love you」と言い、ある者は冷静に状況を伝え、ある者は恐怖で叫んでいた。

そんな話を見聞きするたびに、心が痛くてたまらなかった。

と同時に、もし自分の身にこういうことが起きたら、誰に電話するだろうと考えた。

そのときは、ポールともちょうどうまく行っていなかった時で、恋人と呼べる人がいなかった。

まず、母親に・・・と思った。

だけど、我が家の場合、娘が三人。

私にとっては、一番連絡したい相手は母だけど、逆に母にとっては、私たち娘はそれぞれ3分の1の愛情。

もし、同時に3人から連絡があったら、誰の電話を取るんだろう。

そんなことを考えたとき、自分が唯一無二の存在となっている相手がいないという現実に気がついた。

そして、そういう人が必要だと心から思った。

1対1の愛情をかけられる人。

そういう人の存在が必要なんだと、そのとき、強く気づかされた。

もう、何年も前だけど、占いができるという女性に、

「あなたには、世界観が変わるような出来事が起こらない限り、本当に好きな人なんて見つけられないわね」と鼻で笑われた。

今になって思えば、あの9.11が世界観が変わるような出来事だったのかもしれない。

いつ何時、どこでどんなことが起きるかわからないのが、今の世の中なんだと思った。

そして、ポールに思い切って電話した。

私が死んでるのか、生きてるのか、気にして欲しい相手は、ポールだとわかっていたから。

そして、今につながっている。

だから、あの日は忘れられない。

もう2度とあんなことが起きないようにと心から思う。

どんなに多くの人が、唯一無二の相手を一瞬で亡くしてしまったのか。

朝、元気な姿で送り出した相手が帰ってこない。

当たり前の日常が、瞬時にして絶望へと変わる。。。

そんな苦しみを味わうことがないようにと心から願う。

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コメント

  1. もう6年も前になるんですね。
    あの時私はカナダにいて、朝目覚めてテレビを見て驚きました。
    (NYとは4時間の時差があったため)
    お隣の国だし、とても身近に感じでショックでした。
    私は阪神淡路の地震の体験者です。
    天災、人災どちらにしても全く予期しなかった出来事、
    多くの人が亡くなった出来事って人生とは何かって
    考えさせられます。
    でも、時間がたつとだんだん風化してきて。。。
    あの時考えていたことを今、ちゃんと心に持っているかと
    言えば。。。
    なので、辛いけれど毎年その日に思い出すのは必要なこと
    なんだなって思います。

  2. >Joyceさん
    Joyceさんは、阪神淡路地震の体験者なんですね。
    本当に大変なことを経験されたんですね。
    私もあの時のことはよく覚えています。
    ニュースを見るたびに犠牲者の数が増えて行って・・・。
    肉親を失ったり、家を失ったり。。。
    天災の場合は、誰を恨むこともできず、怒りのやり場もない。
    地震にはすっかり慣れているような感じさえある日本ですが、地震は本当に恐ろしいものだと日本人の誰もが思い知らされましたよね。
    ポールは地震に備えて、非常用の備品を持ち運べないほど揃えて、「どうして日本人は、ちゃんと備えないの?地震が多いってわかってるのに」って不思議がってます。
    その感覚って必要。あの悲劇をしっかり思い出して、地震が起きたときに、どうすれば犠牲者を減らすことができるのか、教訓にしなければならないですよね。

  3. そうかー、そんな事があったら、ますます身近に感じますよね。
    私は北米一人旅をしていた時に119に遭遇しました。
    たまたま、ボストン発のモントリオール行きのバスがバス停に居たので、(NY行きも考えてましたが、でもボストンに着くまでに既に疲れてたので、モントリオール行きに飛び乗りました)モントリオールへ。
    その二日後の朝、信じられない光景をTVで観て、フレンチ放送だったので訳が分からずパニックになりそうでした。
    予定より大幅に遅れて日本に帰国しましたが、当時の勤め先の上司に「心配かけやがって」と一喝されて(なぜ?)、日本って変な国だなあ、と思いました。
    そしてその1年後にはイギリスへ単身で渡り、今に至ります。
    あのテロが無かったら、自分一人で国外に住む自信なんてつかなかったかもしれません。
    「いつ何が起こるか分からない、好きな事をするべきだ」って強く感じたんですよね。
    11 Sep 01 は様々な人達の人生を変えた日ですね。
    合掌

  4. >ゆりぽんさん
    北米一人旅の時の9.11は本当に忘れられないですね。
    本当に多くの人の人生を変えた日ですよね。
    私自身、9.11や、阪神淡路以来、かなり刹那主義に。
    あんまり先のことまで考えないで、人生楽しまなくちゃ!が基本姿勢です。
    だって、明日、何があるかなんて誰にもわからない。
    昨日、札幌でいつも通勤で使ってる地下鉄の車内で通り魔事件が・・・。
    刺す相手は誰でも良かったらしい。
    同じ車両にいたかもしれないと思うとゾゾッ。
    だから、なんでもやりたいことは後回しにしないで、やっておくべきですね。

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