父が急死しました。
新年の幕開けを祝ったばかりの1月3日午前2時のことでした。
まったく予期せぬ、68歳の早すぎる「死」でした。
「お父さんが死んでる。冷たくて、もう硬くなってるの・・・」、という母からの電話で起こされた3日早朝。
いつもの時間になっても起きてこないことを不審に思った母が様子を見に行ったところ、父は、布団の中で横向きに寝たまま、すでに息はなく、死後硬直が始まっていたそうです。
母からの連絡ですぐにポールと一緒に実家に駆けつけ、ただ静かに眠っているように見える父の頬に触れました。
その時のひんやりと冷たい感触は一生忘れることはできないと思います。
動揺する母の横で、なんとか冷静さを保って「119」番に通報。
それから数分後には、救急車、警察、刑事、検視医が次々に訪れる物々しい朝になりました。
病院ではなく、自宅での突然の死。
外部からの侵入者の形跡はないか、父の生い立ちから最近の様子等々、こと細かに警察から聴取を受けましたが、検視の結果、事件性はないと判断、遺体はすぐに家族に戻されました。
検視医によると、
「死亡時刻は午前2時頃。死因は急性心不全。苦しみながら死んだ場合には、心臓を手で押さえていたり、苦しい表情をしていたり、指が曲がっているなどの苦しみもがいた形跡がありますが、お父さんにはまったくありません。本人もまさか自分が死ぬとは思ってもいなかったでしょう」。
父が急死する4日前の12月30日。
昨年3月にアラフォー婚したばかりの姉をはじめ、3姉妹がそれぞれ家族を伴い実家に集まってジンギスカンをしました。
実家にとっては初の「3姉妹+家族」の全員集合を両親はとても楽しみにしてくれていました。
椅子やテーブルを買い足したほどのビッグイベントになりましたが、実はこの日、父は風邪をこじらせてひどく具合が悪く、激しく咳き込んでいて、乾杯の時もソファーに横になったまま、テーブルにつくこともできなかったのです。
一緒にテーブルを囲むことはできませんでしたが、私たち3姉妹夫婦の様子を嬉しそうに眺め、時折、涙を浮かべていたように、私には見えました。
結局この日、父はあんなに好きだったビールはおろか、ジンギスカンを一口も食べられないままだったのです。
帰り際、「せっかく来てくれたのに、今日は本当にこんな状態ですみません」と謝る父の手を両手で握り締め、「パパ、お大事にね」と肩を抱きハグして挨拶するポールの横で、「(具合が悪いんだから)仕方ないよね」というのが、私が父に掛けた最後の言葉になってしまいました。
その数日後に、冷たい頬に触れることになるくらいなら、どうして娘の私がこの時、父の手を握り、優しい言葉をかけてあげることができなかったのかと悔やまれます。
父が年老いていく姿にちゃんと向き合うことができなかったのです。
病気ひとつしたことのなかった父が弱っていく姿から目を逸らしたかったのだと思います。
風邪をこじらせているとはいえ、まさか、その数日後に「死ぬ」などとは思いもしなかったのです。
父の性格を一言で言うと、「頑固で偏屈」。
寡黙で、プライドが高くて、天の邪鬼なところがありました。
大の病院嫌いで、時に「大丈夫だ。うるさい」と声を荒げるほど、体調を心配されるのを嫌がっていました。
それでも、何度もしつこく母に促されて、28日には嫌々ながら病院へ行っていたのですが、結果、「インフルエンザ」ではなく、ただの風邪と診断されて、1週間分の薬をもらってきていたのに、死後、調べてみると、ほとんどの薬が手付かずのままでした。
結局この病院行きも、「風邪を治したい」というより、心配する家族を納得させるアリバイとして行っただけだったのだと思います。
野球とタバコとお酒が何より好きな父でした。
風邪をこじらせて咳がひどいときにも、医者に止められた時にも、たばこだけはやめない父でした。
周囲は何度もうるさく注意していましたが、「好きなものを奪われるくらいなら死んで本望」、というのが本音だったのでしょう。
死後、遺品を確認していたら、未使用の赤い10年パスポートがありました。
海外にはまったくなんの興味もなかった父が「なぜ?」、と思いましたが、私がイギリス人のポールと結婚したことで、いつか海外に行くことになる日が来るかもしれないと、準備しておいてくれたのかもしれないと思うと、心が痛みます。
私は親孝行な娘ではありませんでした。
近くに住みながら、頻繁に実家を訪れることも、父を喜ばせようと何かをしてあげたこともありませんでした。
それが悔やまれてなりません。
昔気質で、母が働くことをひどく嫌った父は、ずっと父一人の収入だけで、私たち3人の娘を大学に行かせてくれました。
自分が働いて給料をもらっている今、それがどんなに大変なことだったかがよく分かります。
その感謝の気持ちも、なにひとつ伝えることができませんでした。
考えても、考えても、出てくるのは後悔の気持ちばかりです。
「ありがとう。育ててくれたお父さんのお陰です。感謝してます」と生前に伝えることができていれば。。。
その思いばかりで頭がいっぱいです。
2月には、漢字検定試験を受けることや、札幌で開かれる野村克也さんのトークライブに行くことを楽しみにしていたと母から聞きました。
質素で倹約家だった父の、そんなささやかな楽しみさえも、かないませんでした。
急死する前の2日間は、体調が悪いながらも、毎年恒例の箱根駅伝を最初から最後までテレビでしっかり観ていたそうです。
そんな父がその夜、急死しました。
命とは本当にはかないものです。
コメント
大変急なことで eri-ponさんの悲しみは計り知れないこととお察しいたします。
心よりお父さまのご冥福をお祈り申し上げます。
合掌
二度目のコメントです。
今回は私も記憶に新しいお話だったものですから。
私も2年前に父を亡くしました。77歳でした。
小さな病歴はあったとはいえ、そこそこ元気で、その朝も普通に母と会話しているうちにふと気付くと意識が無かったそうです。
「パパがちょっとおかしい」・・・とメールを貰ったすぐあとです。
後悔しようと思えばいくらでも出てきます。それこそ20年もさかのぼってあの時こうしていれば・・・なんて・・・。もうキリがないくらい。
脳幹出血で医師の宣告通り一週間の入院で亡くなりました。それからの一週間はとても忙しく、何が何やら状態でしたが、唯一父が何も苦しまず、何の葛藤もなく、ただただ眠っていた。それだけが救いでした。
良かった・・・とさえ思いました。
eriさんのお父様もきっと静かに眠っておられたのでしょうね。
長い入院などせず、病院嫌いのお父様らしいですね。
悲しむ余裕もなく何かと忙しい日々になるかもしれません。体調にはくれぐれもお気をつけください。
ご冥福をお祈りいたします。
ずっとブログを楽しみに読み続けている者ですが、今回ばかりはえりぽんさんにコメントしないとと震える手で打っています。
そんな事があったんですね。私もショックを受けています。
本当にどこのお父さんも一緒でね、頑固で娘の言う事なんて聞かなくて。ウチもしょっちゅう喧嘩してます。でもえりぽんさんのお父さんは娘さん達が思う以上に幸せで楽しく暮らせていたんだと思いますよ。だって幸せに生活している娘3人の姿を見ていたんですから。
どうか自分を責めないで。
何て言っていいのかわからないけど、本当にえりぽんさんのいつもの皆を元気にしてくれるブログが再開してくれる日を待っています。
お母さんの事、大切にね。
大切なお父様 ご冥福をお祈りいたします。
先日のブログを拝見してもしかしてと思っていました。私が三年前に感じた嫌な感じがしてその感じが間違いであることを祈ってましたが・・
お父様に後悔はあまりなさらないでください。きっと後悔は望まれてないと思います。親は子どもの幸せだけを祈ってます。一日も早く笑顔で生活できますように・・
Eriさんへ
こんにちは。またカリフォルニアからお邪魔しております。
ブログの更新がないので、「あれ、風邪でもひかれたのかな」
程度に思っていたら、こんな悲しい事が起きていたのですね。
文章を読んで泣いてしまいました。
辛い出来事は簡単には癒えません。近親者の死なら尚更。
ブログを書く気持ちになれないのは充分分かります。
ホワホワの毛をまとったバブーちゃんを撫でながら
ゆっくりと心を落ち着かせてくださいね。
はじめてコメントさせて頂きます。いつも楽しくブログを拝見させて頂いてます。私も昨年10月に父を亡くしました。父も同じような性格で68歳でした。箱根駅伝も大好きで毎年沿道に応援にいってました。今年はいません。私も後悔の念ばかりです。
お坊さんに両親を最後看取るのは子供の御役目ですと言われました。
時間が解決してくれるのでしょうか・・・私も知りたいです。
親孝行かどうかはもう聞くことができないお父様が決めることだとも
御坊さん言われました。きちっと最後をすることができたことは最大の親孝行だそうです。
寒さ厳しい北海道、お風邪など召さぬようお体ご自愛ください
新年のご挨拶は失礼致します。
父上のご冥福をお祈り申し上げます。
書くことが沢山浮かびますが、お体を大切にね。
きっとこのブログを天国で読んでらっしいますよ。
合掌
大変でしたね。
数か月前から毎日ブログを拝見させていただいています。
私も父を5歳の時に交通事故で亡くしました。
突然の死の悲しみは十分知っているつもりです。
今は悲しみ・悔やみを思うことしかできないと思います。
父は一人っきりですから・・・。
泣きたいだけ泣いて悲しみを癒してください。
時間がきっと解決してくれると思います。
少しベットに入ってゆっくりしてくださいね。
きっとお父様は年末ご家族全員が揃って会えて安心したんだと思います。お父様はちゃんと「さよなら」と挨拶してくれたような気がします。
心が落ち着いたらお父様に「ありがとう」でさよならしてあげてくださいね。私は今は「苦しい時の神だのみ?仏頼み!」。
心はしっかりと繋がっています。
お父様のご冥福お祈りします。
たいへんでしたね。
命とは、本当にはかない。
でも、eri-ponさん決して親不孝なんかじゃないと思います。
ポールさんとバブーちゃんと幸せに暮らしている、それだけで親はうれしいのだと思います。これは、私自身にも言えることですが・・・。
私も母になにかしてあげなくちゃ、とか思いつつ結局いまだにたくさんのお小遣いをもらい、何の親孝行もできていません。
親には本当に感謝しています。自分で働くまでは、お金の有り難みなど何もわからなかった。それなのに、「今までありがとう、感謝しています」なんていまだ私も言っていません。心の中で言わなくてもわかってもらえている、という甘えみたいなものがあるのかな。
突然のことでお母様もショックを受けていることと思います。
どうかお父様の分までお母様を大事にして下さい!
なんだかとりとめのないことばかりで、ごめんなさい。
お父様のご冥福を心からお祈りいたします。
お正月のご挨拶と思って訪問したら・・・
なんとお声をかけたらいいのか
お父様の人物像がとっても私の父に似ていて
涙しながら読みました
ただただ今はお父様のご冥福をお祈りするしかできません
月並みですがeri-ponさん元気を出してくださいとしか
言えなくてごめんなさい
もう出来ないのは
両手で握り締めて感謝の気持ちを伝えることだけで
いろんな言葉を伝えることは、これからも
いつだって出来るはずです。
えりこさんの感謝の気持ちは
もうとっくにお父様に届いてる思いますよ!
悲しい気持ちが安らぐ頃に優しい思い出だけが残ります。
無理して元気となろうとせず、今はたくさん泣いて
少しずつゆっくりと元気になってくださいね・・・
お父様のご冥福を心よりお祈りいたします。
お悔やみ申し上げます。。。
悲しいことが起きて、心の整理がつかないとあったので
気になっていましたが、
まさかお父さんが亡くなられたとは思ってもみませんでした。。
本当に大変でしたね。
今でも、まだ心が揺れているだろうと思います。
なんて声を掛けていいのか、わたしもわかりません。
でも、お父さんはeri-ponさん達3姉妹と
にぎやかに年末過ごすことができて良かったと思います。
甥っ子ちゃんやバブーもいたんですもの。
いつでも、わたし達は普通に『明日』が来ると思っています。
だから、『その時』が来て、はじめて後悔する。
でも、明日が来ないかもと思って、常に人に接することができないのも、
また人間だと思うんです。
だから、あまり自分を責めないでくださいね。
うまく言えなくて、ごめんなさい。
でも、一日も早く、eri-ponさんの悲しみが癒えるのを願っています。
お父様の永眠のお知らせに接し、心からお悔やみ申し上げます。
今はどのようなことばもむなしく感じられるかもしれませんが、
どうかeri-ponさんまでご心労で倒れることのないように、
心から祈るばかりです・・・
お父様の突然の悲しい出来事に悔やまれているeri-ponさんのお気持ちがよくわかります。私も父(60歳でした)を心筋梗塞で突然亡くしているので ブログを読みながら涙してしまいました。LUKEが産まれる前のことですが…。
eri-ponさん、今の思いはお父様に充分伝わっていると思いますよ。なのであまりご自分を責めないでくださいね。泣きたいときは優しいご主人の胸をかりて思い切り泣いてしまってください。あとは時の流れに身をまかせて そして、特に今はなるべくお母様のそばにいて差し上げてね。毎日 キュートなバブーちゃんと美しい画像に癒されている私ですが こちらからは何もお力になれなくてすみません。
お父様のご冥福をお祈りいたします。
そしてeri-ponさんがいつもの元気を取り戻せますように。
心よりお悔やみを申し上げます。
御身体をお大事にしてください。
ご無沙汰していました。
お父様の急死、本当に受け入れがたい悲しみだと思います。
私にも69歳の父がおり、自分の事のように感じます。
そして「頑固で偏屈」なところや病院嫌いで全く行かない所も
そっくりです。
そんな父でも晩婚の私の3年前の結婚は本当に素直に
喜んでくれました。
eri-ponさんは、親孝行できなかったと後悔されていますが
お父様は、30日に3姉妹とその家族の幸せそうな姿を見れて
とっても嬉しかったと思います。
それがどんなに親孝行な事か・・・。
言葉で伝える事は大事な事だと思いますが
何より親子だから言葉で伝えてなくても
娘達の笑顔こそが親孝行だって天国で思ってくれていると思います。
お父様のご冥福をお祈りしています。
お父様の分までお母様を支えてあげてくださいね。
なによりeri-ponさんが体をこわさないようにして下さい。
自分の娘たちの幸せな姿を見て亡くなったお父様は、
ご自分も幸せだったと思います。。。
ご冥福を祈ります。
>コメントをいただいた皆様へ
たくさんの温かいコメント、本当にありがとうございました。
ひとつひとつのコメントを何度も何度も繰り返し読みました。
コメントから溢れるやさしさ、温かい思いやりの気持ちに、どんなに励まされたことかわかりません。
感謝の気持ちでいっぱいです。
あれから1週間が経ちましたが、「父の死」を受け入れ、少しずつ冷静になったと自分で思っていても、ふと、父を思い出してしまい、突然涙が溢れてきたりしてしまいます。
同じ経験をされた方がおっしゃっている通り、泣きたいときは泣いて、あとは時が癒してくれるのを待つしかないと思っています。
少しずつ、いつもの生活に戻っていけたらと思います。
たくさんのコメント、本当にありがとうございました。
バブーちゃんにがんが見つかった時でも続いたブログが更新されない…。大変な事が起きたに違いないとこうたの母と心配していました。お父さんの突然の死、その悲しみと衝撃を考えると…。心からご冥福をお祈り申し上げます。昨年は突然のお願いにも関わらず取材に応じて頂きありがとうございました。