四十九日の悲劇

先週20日土曜日、父の四十九日を迎えました。

ようやく落ち着いて父の死と向き合えるはずの四十九日の前日、あろうことか、今度は母が雪道で転倒して股関節を骨折。

金曜日の夜、仕事を終えて帰宅した直後に電話が鳴り、こんな時間に何事かと思って電話に出ると、「大変なことになっちゃったの。遅くなってもいいからこっちに来てもらえる?!」。

今にも泣き出しそうな切羽詰った母の声に、慌てて家を飛び出してタクシーで駆けつけると、そこにはダイニングテーブルに絶望的な顔でただ呆然と座っている母の姿が・・・。

聞けば、自宅での法要を控えて、近所のスーパーでお花やお供えなど最後の準備のための買い物を終えての帰宅途中、家まであと100メートルのところで、雪道に足を取られて前のめりに転倒、立ち上がることができなくなり、ちょうど通りがかった郵便配達の方に助けられてなんとか帰宅したとのこと。

隣人の助けで整形外科に連れて行って診てもらい、「股関節骨折。入院・手術が必要」と分かったものの、強気な母は「明日は夫の四十九日なので、入院・手術は月曜日にして欲しい」と訴え、入院せずに松葉杖を受け取って、骨折したまま帰宅していたのです。

私は「骨折」の経験がないので、痛みの程度も分からず、そのまま病院が帰宅させるくらいなのだから緊急性はないと判断されたものと思っていましたが、その日の夜は痛みのため横になることができなかったらしく、ソファーで仮眠を取っただけ。

なんとか翌日の四十九日に備えようとして頑張っていたのですが、翌朝、苦痛に耐え切れなくなって入院を希望。

すぐに病院に行き、法要が始まる午後一時と時を同じくして入院。

病院に付き添っていた妹と私は、なんとか法要には間に合わせていったん実家に戻ったものの、結局、母は父の四十九日にも、納骨にも一緒に行くことはできなかったのです。

実家では、東京から四十九日のために来ていた姉夫婦が空っぽの家で待機。

まさかの事態にこちらも呆然ですが、亡くなった父のことより、生きている母のことが優先です。

こんなことがあるものかと、あまりの不運を嘆くしかありませんでした。

仏教では、あの世でもこの世でもない世界にただよっているという父の霊の行き先が決まるとされている四十九日目。

その前日に起きた悲劇に、いろいろ考えずにはいられませんでした。

「父は納骨されるのを嫌がっているのでは?!」。

「まだ霊の行き先が決まっていないのでは?!」。

「供養の仕方が悪かったのでは?!」。

父の供養の最中、考えていたのはそんなことばかり。

落ち着いて死と向き合うどころではありませんでした。

そして、式の最後に住職が、私たち3姉妹の気持ちを察したかのように、話してくれました。

「娘さんたちは今同じことを考えているでしょう。お父さんが亡くなって、今度はお母さんが入院して、どうしてこんなに辛いことが続くのかと。どうして今この場所にお母さんがいないのかと。残された家族はいろいろ考えます。あれが良くなかったんじゃないか、これが悪かったんじゃないか、と。けれども、そんな風に今回起きた出来事の理由をあれこれ考えることにはなんの意味もありません。死んだお父さんがあなたたち家族を苦しめるはずなどないのです。なんの理由もありません。ただ起きてしまっただけなのです。今回、ご両親が身をもって教えてくれたのは、『いつ何が起きるか分からない』ということなのです」。

父の死後、母は、四十九日をひとつの節目として、目標として、悲しみに浸る間もないまま気力を振り絞って頑張ってきました。

その頑張りぶりは、正直なところ、娘の私としては、その後、『燃え尽き症候群』になって一気に体調を崩してしまうのでは?!と心配していたほどでした。

その矢先の出来事。

入院は1ヵ月の予定で、チタン製の人工股関節にはなるものの歩行能力は以前と同程度まで回復するとのこと。

これは、「頑張り過ぎないで少し休みなさい」という父からのメッセージなのかもしれません。

悲劇の四十九日から数日が経過。

手術後は麻酔から冷めない無意識の状態でも「ごめんね、ごめんね」と繰り返して涙を流していた母ですが、今日、お見舞いに行った時の母は、大部屋の隣のベッドの人と笑顔で談笑中。

骨折した股関節は痛むものの、体は元気。
(写真は2007年ドイツ旅行の時のもの。よく似てるって言われます)

もともと社交的で明るい母にとって、ひとり自宅で悶々として過ごすより、こうして多くの人に囲まれている方が寂しくなくていいのかもしれません。

「災い転じて福となす」であることを願います。

苦痛で顔を歪める母と病院に行った時、車椅子に座って診察を待つ母の心細そうな丸まった背中は、見ているのが耐えられないほど小さく細く、かつて年子の姉と私、4つ離れた妹の3姉妹を連れてどこにでも行き、「ダンプ母さん」と呼ばれていたとは思えないほどか細く、弱々しくなっていました。

自分が年を取るというのは、親も年を取るということ。

2010年は、そのことに嫌と言うほど気づかされる試練の年のようです。

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コメント

  1. 心配しました。お父様の四十九日だという事はわかっていましたが、少し長すぎです。ERIさんが留守の間にバブーちゃんに何かあったのかと、ドキドキして1日に何度もブログを開いてみました。勤務中に…ERIさんとお母様にはお気の毒でしたが、今少しホットしてます。お母様の少しでも早い回復をお祈りしてます。

  2. 大変でしたね。更新を楽しみにしていたのですが、どうしたのだろうと思っていました。お父様はきっと、お母様が気丈にされていたので、少し休息をとって欲しいと思っていたことでしょう。ゆっくり、心も体も休めて元気になっていただきたいです。私事ですが、去年叔父が亡くなり、叔母が、膝の手術をし落胆していたのを思い出されます。今も時々、弱音を吐きしょんぼりしているのをみるのが辛くて。春の雪どけのように、ゆっくりゆっくり時間が解決してくれるのを祈るばかりです。

  3. eriさんへ
    あ、更新されてる!と思ってブログを拝見したら
    思わず眉間に皺がよってしまいました。。。
    お母様、大変でしたね。
    全て住職さんのおっしゃる通りだと思います。
    「こういう事をしたからこの結果になったんだ」と人は色々
    理屈付けたがるんですよね。そうすれば納得いく、みたいな。
    でも今回の出来事は全く関係の無いこと。
    どうぞ必要の無い憶測で気持ちが暗くなりませんように。
    お写真、そっくりですね。微笑んでいる目の辺りが。

  4. ずっと更新されていなかったので、心配していました。
    骨折、それも一晩我慢して、妻として母としての強さを感じます。
    私も先週叔父が亡くなり、慌ただしくしていました。父が早く亡くなっているので、、結婚式にも父親代わりになってくれた叔父です。小さい頃からわがままで、ずいぶん心配かけたものです。何も恩返しできなくて。幸いにも今まで身内にお葬式などがなく、今回久しぶりに最初から最後までセレモニーに関わると、驚くことが多いですね。
    お母様入院中に太らないように気をつけないといけませんね。
    友達は肩を骨折して退院したときには、3食昼寝つきがきいたのでしょうねえ、ふっくらと健康的になりました・・・。
    私も今年は、母をはじめとして私より目上のお世話になった方々へ、恩返しできるようにしなければ・・・。

  5. しばらく更新していなかったので心配してました。
    お母様のこと大変でしたね。
    私も三年半前に父を突然亡くしました。クモ膜出血でした。
    父が亡くなりいろいろな事を考えさせられました。
    父が亡くなった一年間は父の代わりになれるよう母に接しました。
    父のありがたさを痛感する一年でした。
    親てありがたいですね。
    お母様が早く良くなるようお祈り致します。
    バブーママもお身体大切に。

  6. 社交的なお母様なら、大部屋での入院生活はおしゃべり相手もいて
    けっこう楽しいかもしれません!?
    <リハビリは大変かもしれませんが;
    怪我がこの程度で済んで良かったと、良い方にとってもイイと思います。
    家事無し!のパジャマ生活♪
    この際、お母様にはゆっくりしていただきましょう(^^)b
    私も、たまに病棟へ戻りたくなります(笑)
    ご存知のように、私の患者仲間さんは皆、癌患者。
    キャア!キャア!騒いで大笑いをしたり、一緒に泣いたり、
    励まし合ってゴハンを食べます。
    おもしろいもので、体は病気なのですが、心はデトックスされます♪

  7. eri様
    しばらく更新が無いのでとても心配しました。
    お母様の事でブログどころでなかったのですね。
    同室の方達と笑顔で・・ということで一安心ですね。
    バブーちゃんはいつもと違うeriさんをどう思っていたでしょう。
    うんとスキンシップして可愛がってくださいね。

  8. eri-ponさん、こんばんは。色々とお疲れ様でした。。
    お父様の四十九日なのは分かっていたのですが、きっと何かあったのだろうと、心配しておりました。とにかく、eri-ponさんの更新を待とうと…。
    大変でしたね。。でも住職さんやeri-ponさんのおっしゃるとおり、『ただ重なってしまっただけ。そして、少し休みなさい。』と言うことなのだと思います。
    四十九日を終えて『もう本当に居ないのだ。』と実感し、がっくりきてしまうとも聞いたことがあります。
    本当に大部屋で良かったのかもしれませんね。話し相手もいるし、病院だからとりあえずは安心です。
    色々な人のお話を聞いて、気が紛れることもあるでしょう。入院されている約1ヶ月の間に、少し心のケアができますように。
    そして、eri-ponさんのことがとても心配です。お母様やお父様のことを考えすぎて、ぼんやりして転んだりケガをしないように、気をつけてくださいね。
    更新が無くても、いつまでも待っていますので、決して無理はなさらずに、ちゃんと睡眠を取ってくださいね。お母様、早く痛みがとれますように。

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