今日、仕事で受けた電話で、相手の話していることがまったく理解できないということがあった。
「具体的に説明してください」と相手に伝え、具体的に説明してもらったけれど、右から左・・・、それでもまったくイメージがわかず、さっぱりわからない。
自分自身は、今の仕事を担当するようになってから、まだまだ経験が浅く、知識も経験も不足しているけれど、相手は百戦錬磨。
なんとか理解しようとしたけれど、途中から「思考停止」。
・・・で、思い出したのが、2003年に話題になった本、「バカの壁」。
「結局われわれは、自分の脳に入ることしか理解できない」。
そうなのだ。
恐らく、相手にとっては難しくもなんともないことなのだと思うけれど、私にとっては未知の世界だったために、脳が受け入れないという事態。
困り果てて、結局、具体的に文書にまとめてメールで送ってもらい、考える時間が欲しいと伝えて電話を切ったけれど、社会人として最も嫌な無能感漂うこのやり取りに我ながらうんざり。。。
自分の理解力が足りないのか、相手が説明不足なのか。。。
そんな話をポールにすると、ポールの答えはいつもこう。
「わからないなら、徹底的に相手に聞けばいい。どうして理解できるまで聞かないの?」。
英語を長年日本人に教えているポール曰く、
「イギリスと日本の大きな違いは、会話する時の『責任の所在』。お互いの話が理解できないとき、話がちゃんと伝わらず相手に理解してもらえないのは、イギリスでは『話す側』の責任、日本では『聞く側』の責任」。
だから、相手の話が理解できないときは、自分が恥じることはない、分かるまで相手に説明してもらうべきなんだ、と。
日本人の場合は、たとえば英語や外国語の時でもそうだけれど、話が理解できないのは、自分の能力不足のせいだと考えて、何度も聞くのは恥ずかしいからと、つい分かったフリをしたり、曖昧な返事をしてその場を凌ぐ。
「あなたの言ってることがわからない」などとぴしゃりと言って、会話を終わらせることなど恐らくほとんどないはずで、それが逆に混乱を招くのだと。
「バカの壁」が大ヒットした時、時代に乗り遅れないようにと、私も読んだ。
だけど、正直なところ、何が言いたいのか、何故この本が大ヒットしているのか、まったくわからなかった。
感銘を受けたわけでもない。
衝撃的なタイトルだっただけに、タイトルは覚えているけれど、一応「読んだ」という事実しか残っていない。
ちょうどその頃、ある人が、「『バカの壁』を読んで、あの本に書いてあることがよく分からないなどとという人がいるけれど、あの本の内容が理解できないなんて、申し訳ないが『バカ』といわざるを得ない」、と言っているのを聞いて、「そっかー、みんなはあの本が理解できるんだー」とひとり寂しく感慨に耽ったのを覚えている。
もちろん、相手の話が理解できないのは、自分の経験不測や能力のなさ、ということは多分にある。
だけど、それを素直に認め、相手に伝えるのは憚られる。
プライドだってある。
それが、思考停止の元凶、「バカの壁」なんだと今は思う。
本筋とは離れたところにある障壁。
今日は帰り道でそんなことを考えていた、冴えないまったくもって「とほほ・・・」な1日。
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コメント
わたしは、自分は「無知の知」と思っています。
最悪なのは、「無知の無知」・・・かな(笑)
ブログの内容『音速』で伝わり理解できました。ワタシなんて面倒くさそうな話は壁どころか『塀』で囲みブロックしているような気がします(照れ)。