父の命日

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1月3日、今日は父の命日。

病気ひとつしたことがなかった父の68歳の早すぎる死。

死因は急性心不全。

4年前の今日は、これまで経験したことのない悲しみと不安の中にいた。

昨年末、「4年前のあの日」と同じように、3姉妹がそれぞれの夫と家族を伴って、実家に集まってジンギスカンをした。

父が死んだのは、それから5日後の2010年1月3日のことだった。

昨年末の家族揃ってのジンギスカン。

4年前と違うのは、そこに父の姿がないことと、その時はこの世に存在すらしていなかった姪っ子の可愛い笑顔があること。

もし父が生きていたら、甥っ子と姪っ子を両手に抱っこして、さぞかし幸せな表情をしていただろうと思う。

父の命日はもちろん毎年来ていたけれど、3姉妹の中で一番好き勝手をして迷惑をかけて、孝行者じゃなかったことを自認している私には、思い出すのがあまりにも辛すぎて、今までは命日のことをまったく書くことができなかった。

あえて思い出さないように、必死で取り繕って来た。

4年が過ぎた今、ようやくこうしてそのことを思い出して、書くことができるようになった。

頑固で偏屈で、重たい空気を纏っていた父は、私がオトナになればなるほど近寄りがたく、腹を割って話す・・・ということなど決してできない存在になっていた。

話の内容が少しでも気に障ると、急に激しく怒り出すようなことが度々あった父は、その地雷がどこにあるのかわからず、父と話す時には様子を伺わなければならないような、なんともいえない緊張感が常に漂っていた。

19歳で親元を離れて生活するようになってからは、ますます父との距離は遠くなり、久しぶりに帰省しても、私の未熟さと緊張感から、満足に話をすることさえできなかった。

だからこそ、もっとずっとお互い歳を取ったら、お酒を酌み交わしながら、腹を割ってあんなことやこんなこと、いろんな話が出来るようになるものと、そんな日が当たり前に来るものと信じていた。

父との別れがあんなに早く訪れるとは、まったく思いもせずに。

今日は父の命日。

父が大好きだった日本酒を飲みながら、そんなことをいろいろ考えていたら涙が止まらなくなった。

どんなに後悔しても遅いけれど、

もっと、もっと話したかった。。。

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コメント

  1. お父様に対するお気持ちお察しします。私の父は1月02日が命日です。私は家族の反対を押し切り夫と結婚したため、20年近く連絡を取っていませんでした。けれど晩年は母親の病気がきっかけで、実家に帰って父とも話ができました。それでも独身の頃は、正直煙たい存在ではありました。おそらく、似たような性格であったと思います。ですからなんかよくわかるような気がします。私の父は90歳大往生ではありますが、68は、まだまだお若い。無念ですね。

  2. 「親孝行、したい時に親はなし」という言葉が最近よく頭に浮かびます。私は2012年に父、2011年に母を亡くしました。父は晩年病気がちだったので覚悟はできていましたが、大きなショックは母の時でした。母は病気らしい病気をしたこともなく元気いっぱい。年に1度程度しか帰省しないのに憎まれ口が多くて結局は喧嘩になり「絶対100歳まで生きる。もっと弱ってきたら優しくしてしやる!」などといつも思っていました。それがあの震災の2時間後、脳出血で倒れ病院に運ばれるも停電で検査も治療もできず、死を待つ状態。帰りたいけど私は関東、実家は東北の太平洋側。(津波の被害は軽度)何とか翌々日に飛行機が1席だけとれ帰れたもののその数時間後に母は一度も目を覚ますことなく亡くなりました。福島が爆発している中、物流が途絶えている中、何とか家族葬という形で葬式を済ませましたが「もっと大変な人がいっぱいいる」と泣くに泣けない状態が続き、胸が痛くて苦しくなり全てが終わってから誰もいない祭壇の前でティッシュの箱を抱え「心配ばかりかけてゴメン。優しくしてあげなくてゴメン」と大泣きしました。今だに後悔ばかりしています。またまた長文になってしまいました。どうぞ、残されたお母様を大事にしてくださいませ。
    ・・・ちなみに私の夫はユニクロで身をかためているので私に「ユニクロおじさん」と呼ばれています・・・

  3. ”国際結婚 札幌” で何気なく通りすがりましたw ご近所さんみたいですw いい公園ですよね!ちょこっと国際結婚悩みながら検索したんですが、素敵なお写真いっぱいで私も頑張ろうと思いました!よい一日を!

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