先日、大切な友人のお母さんが亡くなったと知らせを受けた。
くも膜下出血、まだ60代という若さでの急死だった。
今まで健康でいつも通り元気だったのに、なんの前触れもなく突然倒れ、病院に運ばれた時には脳はもはや手の施しようがなく、意識が戻らないまま亡くなったのは、それから僅か数日後のことだった。
なんて突然の、なんて悲しい別れなんだろう。
友人から、お母さんの話は以前からよく聞いていた。
仕事と子育てを見事に両立させ、『子育て中』ということを感じさせないくらい仕事に集中している理由を彼女に聞くと、お母さんのサポートが大きいからだと笑顔で教えてくれた。
「母の料理がとってもおいしいので、うちの子供たちは私より母の料理の方が本当は好きなんですよ」。
愚痴を聞いて欲しくて、飲みに誘うと、
「今日は母が子供たちを見てくれているので、夜遅くなっても大丈夫です」。
友人の生活の中で、お母さんの多大なるサポートがあることは明らかで、本当に仲のいい母娘なんだな、と思ってた。
聞けば、子供の頃から両親が共働きで、働くお母さんを間近に見て育ったとのこと。
そんなお母さんだからこそ、女性でも働くのは当たり前、と、働く娘を全面的にサポート。
お会いしたこともないけれど、話を聞いているだけで、「一心同体」のようだとわかる・・・、そんな仲のいい素敵な母娘だった。
娘を支える、二人三脚の母娘で、真っ先に思い出すのは、浅田真央ちゃん母娘。
ソチ・オリンピックの後に見たテレビ番組で、浅田真央ちゃんがお母さんを亡くした時も、普段と変わらず淡々と練習を続けている姿を見て、精神的なダメージを心配していたコーチが「本当に強い子だと思った」と話していたのを思い出した。
浅田真央ちゃんがお母さんが亡くなった後に出したコメントは、
「まだ、信じられない気もしますが、お母さんに今までより近くで見守られている気がします。
私たち姉妹にたくさんの愛を注いでくれたお母さんに、何度「ありがとう」と言っても足りません。
生前、家族で約束した通り、今後も自分の夢に向かって、やるべき事をしっかりやることが、お母さんも喜んでくれる事だと思い、今まで通り練習に励みたいと思います」。
精一杯の愛情と信頼で助け合って来た親子だからこそ、別れが来た時には、「ありがとう」と言える。
「どうして死んじゃったの?」、「まだ死なないで!」、じゃなくて、何度「ありがとう」と言っても足りない程感謝してるから、突然の別れが訪れたとき、そのことを生前伝えることができなかったことが、とにかく辛い。
私の父も68歳で急死した。
もっと感謝の気持ちを伝えたかったのに何もできなかった・・・、父の死後、しばらくはその思いに苛まれ、苦しくてたまらなかった。
だけど、きっと普通の親子っていうのは、みんな大体そうなんじゃないかと思う。
生きている時には、面と向って「ありがとう」なんて、「感謝しています」なんて、こっ恥ずかしくて言えない。
他人になら言えるけど、親子だからこそ言えない、そんなものだと思う。
多分、親自身も自分の親に対してそうだっただろうから、わかってくれてると思う。
親を亡くすということは、遅かれ早かれ誰にも等しく訪れる。
ここ数年、自分が歳を重ねるとともに、その場面も増えた。
日々を大切に、親から授かった命、その後の人生を精一杯生きて、大切な人たちにたっぷりの愛情を注ぐこと。
そうして、親から受けた自分の「生」や「愛情」が次につながっていくのだと、そんなシンプルな生き方をしようと、改めて。
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コメント
こんにちわ、はじめまして
いつも楽しく拝見しています。
バブーちゃんがいっつもニコニコしてて、ほっこりしてしまいます。
ご友人さんのお母様の話、ファッション雑誌の事、共感…て簡単にいうと嘘っぽくなってしまうのですが、あ、わかるな~って思ってしまいついコメントしてしまいました。
うちにもチワワがいます、今パソコンに向ってる私をベットから睨んでますが笑
いつかお散歩でバブーちゃんに会えたらいいね、て話しかけてます。
これからもブログ楽しみにしています。