雑感: たかが会議、されど会議

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「会議で発言しない人は、いないのと同じ」。

日本では許されるけど、欧米文化なら間違いなく次回から会議に呼ばれない。

厳しいけれど、これは社会人になったばかりの人たちが、最初に学ぶべきことだと思う。

私も先輩に教えられた。

とてもシビアだけれど、特殊な事情がある場合をのぞいては、その通り。

一方で、「会議で発言しない人」がいる状態、そういう状況を作り出してしまうのは、会議招集者の失敗である。

それもその通り。

ただ、方向性すら見つけられないような問題が起きた時は、たくさんの人を集めて会議をしなければならなくなる。

それは、多くの意見を聞く必要があるから。

そのような方向性すら定まらないような会議には、「発散」と「収束」のステージがあると言われている。

発散のステージでは「できるだけたくさんのアイデアを出すことが重要」なのであって、収束のステージでは、「より良いアイデアを絞ること」が大切になってくる。

そういう会議で発言をしない参加者がいるのは完全にNG。

重要なのは、自分がその会議になぜ参加を求められ、どういう立ち位置なり役割を期待されているのかを考えて参加すること。

そこをしっかりと見極めて、責任を果たすこと。

意見の中身というより、参加態度、意欲の問題。

発言しない人は、頑張って発言している人のエネルギーをも奪い去る。

これは私自身、公私にわたり、会議の参加者になり、招集者になる、その経験を20年重ねてわかってきたこと。

逆の見方をすれば、会議の中で「無言」の「お地蔵さん」になることが許されるのは、よっぽどの権力者だけ。

会議の質をいかに高めるかは、すべて参加者にかかってる。

会議たるもの、会社組織はもちろん、町内会も、マンションの理事会も、組合も、ボランティアの集まりもそう。

人が集まるところに会議あり。

たかが会議、されど会議。

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