先日、夫のポールが50歳の誕生日を迎えた。
今回、ニュージーランドから友人たちが遊びに来ていたのも、ポールと同じ2月に生まれた同い年の親友ジョンが、人生のランドマークたる50歳の誕生日を一緒に祝おう!という趣旨で企画されたものだった。
そして、無事に誕生日が過ぎて数日経過してからのこと、ポールがフェイスブックに珍しく投稿していた。
珍しいな、なんだろう、と思って読んでみると、「妻が写真をたくさん撮るので、そのデータを保管するため、コストコでハードディスクを買ってきてメモリーをグレードアップするのに忙しい」というような、パソコンおたくのポールの定番ネタなのだけれど、それよりなにより冒頭が切なかった。
「先週、僕は50歳の誕生日を迎えた。なのに、フェイスブックで、お祝いのメッセージをくれたのは、エブリワン=みんな、じゃなくて、ワン=1人だけだった」。
フェイスブックを使っている人ならご存知のとおり、自分のプロフィールで誕生日を公開していると、「友達」のところに、「今日は○○さんの誕生日です」というメッセージが届く。
その通知を見て、「お誕生日おめでとう!」とメッセージを送り、みんなで祝おうというもの。
私も最初の頃は、それが面白くて、その都度「おめでとう!」 のメッセージを送っていたし、自分が誕生日を迎えた日には、会ったこともないフェイスブック上の「友達」たちから、驚くほどたくさんのお祝いメッセージが届いたことに感動したものだ。
だけど、その後、「友達」が増えれば増えるほど大変な作業に思えてきた。
私は、まだまだ友達は少ない方だけれど、それでも週に何度も誰かの「誕生日通知」が届く。
お祝いメッセージを送っているかどうかは、他のユーザーにも丸見えで、関係性や親密度は他のユーザーにはわからないわけだから、人によって、お祝いしたり、しなかったり、というのは賢明じゃない。
誕生日通知を受け取るたびに、お祝いメッセージを送る、という作業を「する」か、「しない」か、そのどちらか。
もともとマメじゃないし、記念日にもまったく無頓着な私は、「しない」を選択。
その代わり、自分の誕生日も非公開とした。
ポールは、考え方が私と真逆。
「誕生日通知」を受け取るたびに、関係性や親密度には関係なく、必ずお祝いメッセージを送る、という作業をずっと続けている。
メールでもなんでも、ポールは基本レスポンスは遅い方なのに、この、フェイスブックの「誕生日祝い」だけは特別なこだわりがあるようで、ほぼ毎日欠かさない。
なのに、自分の誕生日に届いたお祝いは1件だけだった、という嘆き節。
それを聞いて、笑っちゃいけないけど、思わず笑ってしまった。
本人曰く、「なぜか、いつの間にか、自分の誕生日が『非公開』設定になって、友達に『誕生日通知』が届いていなかった」ことが原因らしい。
「なぜか、いつの間にか」、なんてあり得ない、自分で設定変えちゃってたんでしょ、と思うけれど、そこを突っ込んでも仕方がないので、「そうだったんだ。ポール、あんなに毎回みんなにお祝いメッセージ送ってたのに、それは悲しかったね・・・」というのが精いっぱい。
ポールは、自分の50歳の誕生日に何件のお祝いメッセージが届くかを何より楽しみに、この一年間、みんなにお祝いメッセージを送り続けていたのだ。
そして誕生日を迎え、受け取ったお祝いメッセージは「たった1件」=親友のジョンだけ、で撃沈。
フェイスブックをやっているがために、ポールが思いがけず味わってしまった50歳の誕生日の悲哀。
パソコンおたくなのに、パソコン弱者の私より「詰め」が甘過ぎ。
笑っちゃいけないけど、笑っちゃう。
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