「意識高い系」という言葉が使われるようになってからしばらくの間、「褒め言葉」だと思っていた。
それが嘲笑の対象として使われることを知ったのは、かなり後になってからのことだ。
私が言葉の意味を知らず、褒め言葉のつもりで使った時に、
「それって、すごく馬鹿にしてるよね?」って、言われたのがきっかけだった。
そんなつもりは1ミリもなかったのに。
英語では日本と同じ意味合いで、「ワナビー」という言葉が使われている。
「ワナビー」=「wannabe」。
もともとは「want to be」で、「~になりたがっている人」という意味で、一般的に「絶対それになれない」というネガティブなニュアンスを含むと言われている表現。
私は、「意識が高い系」な人が凄く好きだ。
ウィキペディアによると、「意識高い系」とは、「自分を過剰に演出するが中身が伴っていない若手、前向き過ぎて空回りしている若者、インターネットにおいて自分の経歴・人脈を演出し自己アピールを絶やさない人などを意味する俗称」、なのだそうだ。
インターネットで過剰に自分自身をアピールしたり、見栄を張ったり、偽ったりするのは別として、日常生活において、「意識高い系」のどこに、ネガティブなイメージがあるのか、嘲笑の対象になるのかが全くわからない。
中身が伴わないのも、空回りしているのも結果であって、一生懸命頑張っている人、意識が高い人を馬鹿にする心理がわからない。
「意識が高い」のは、本来、素晴らしいことのはず。
それを揶揄する風潮があるのは、非常によろしくないと思う。
そんな話を友人たちにすると、
「意識高い」のはいいことだけど、問題なのは「意識高い系」なのだと反論された。
「意識が高い」ことと「意識高い系」は別物。
「系」がつくかどうかで違うのだという。
なんだかよくわからなくなってきた。
言いたいのは、つまり、頑張ってる人を馬鹿にするのはよめよう!、ってこと。
それが、空回りであれ何であれ。
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コメント
意識高い人は私も好きです。
しかし!
系ーの人は、そこに自分を近づけることをしない人。
努力の伴わない人ではないでしょうか。
口だけ、アピールだけ。
それが見え見えの人って結構多くないですか。。。。?
・・・・自戒を込めて・・・・