バブーの火葬の日の前日、息を引き取った直後でブログを更新することができなかった22日の夜、匿名の方から「鼻からの給餌をしてまで延命をされたいのですか?ご自分の時もそれを望みますか?(原文まま)」というコメントが入りました。
匿名だったので公開しませんでしたが、これは心にグサッと刺さりました。
図星だったからです。
私自身が瀕死の時、「鼻からの給餌で延命を望むか」と問われたら、答えはノーです。
だからこそ、この3ヵ月間、鼻からの給餌や点滴を使って、あの手この手で強制的に命を繋いでいる状態が「飼い主のエゴ」なんじゃないかと葛藤し、罪悪感に苛まれて来ました。
「鼻からの給餌をしてまで延命をされたいのですか?」という問いかけに、言葉が見つかりませんでした。
そして今日は、「ブログを読み、お二人が力を合わせて最期まで看取りをされていた姿と、小さい身体で少しでも長い間お二人のそばにいようとしたバブーちゃんがイメージされ、目頭が熱くなりました(原文まま)」というメールが届き、読んだ瞬間、涙が溢れてきました。
「小さい身体で少しでも長い間お二人のそばにいようとしたバブーちゃん」という言葉が刺さりました。
このメールを読んだ時、もしかしたらバブー自身も私たちと同じように、体が辛くて本当にしんどいけど、少しでも長く私たちと一緒に過ごしたいと思って、それを本能でただひたすら願って、お医者さんが諦めるような状況でも何度も持ち直して頑張ってくれたのではないかと思えて、とても救われました。
「心に刺さる」は、「痛みを与える、傷つける」というネガティブな意味と、「響く、共感する」というポジティブな意味の両方があり、文脈次第でどちらにも解釈できる言葉ですが、今回頂いたどちらの言葉も真実で、心に深く刺さりました。
最初に、私自身が瀕死の時、「鼻からの給餌で延命を望むか」と問われたら、答えはノーと言いましたが、私の愛する家族や友人たちが「お願いだから、もう少し一緒にいて」と願ってくれているのを感じたら、答えがイエスに変わる気がします。
読んで頂けたら↓
ついでに、わんこ好きの方は↓可愛いシッポにもう1票♪
コメント
正解はないということですね。
どれも正解、どれも不正解。
極めてパーソナルな領域ということで。
そういうことですよね。
正解はない。
自分たちが正しいと思うことをするだけです。
木村です。
前に一度だけ延命治療をどうなんだろう?って思われてる時にコメントさせていただきました。
いくら探しても正解なんて無いんです。
ただ1つの正解は最後まで一緒にいることが出来る家族の決断だと思います。
私も続けてワンコを亡くしました。
遺骨も今年の春まで一緒にいました。
3年が、過ぎやっと庭に埋蔵しました。
それが我が家とワンコが必要な時間だったと思います。
今は、虹の橋で元気で待ってて!後で行くからと思ってます。
バブーちゃんも間違えなく痛みも無く暖かいとこで元気に走り回ってますよ!
ふとした時に涙、涙になりますが…
それも少しずつ形が変わってきますよ。
正解なんてないですよね。今もわからないままです。
やがて虹の橋で、バブーが私に向かって走ってきてくれることを想像して、毎日涙が出ます。
「それも少しずつ形が変わってきますよ」という言葉に救われます。
私の大好きで大切で宝物の愛犬はご飯が食べられなくなり私の判断で鼻からのチューブのまま3年前15歳で亡くしました。
ずっとごめんねと後悔の毎日です。バブーのママさんのブログを読んで少し心が軽くなりました。ありがとうございました!
鼻チューブ、本当につらいですよね。
MIROさんのわんこちゃんも、MIROさんと少しでも一緒にいたくて頑張っていたんだと思います。
本当にお疲れ様でした。
延命治療について、ブログに公表するのも勇気が必要だったと思います。私も、覚悟をしつつも、高齢の愛猫を二匹、立て続けに亡くした時は、看護と別れの不安で、失う前のほうが苦しかったです。正解は何なのかわからないですしね。右往左往しました。
今は、あの子達との、楽しい当たり前の日々と、また、最期のつらかった日々も含めて、お互いの絆をより深めたと思っております。
これからのほうが、胸に穴が開いたような、足元を掬われるような悲しみもおそってきます。どうぞ、これからの札幌の寒い冬に負けずに、ご自愛くださいませ。
今思えばですが、この一週間より、介護中の最後の一週間の方が苦しかったです。
骨と皮になって衰えていく愛犬をみるのは本当に辛いものがありました。
今は安堵と喪失と・・・。
バブーさん、ママパパ本当にお疲れ様でした。
10年以上ブログを見てかわいいバブーを楽しみにしていました。
家のみるく(13歳8か月のウエスティー)と重ねるように、愛らしくずっとブログを見ていました。
みるくは病院で2分間に合わずに息を引き取るときに見てあげられませんでした。
バブーは見届けてもらえ幸せでしたよ。
PCのスライドショーはミルクです。家じゅうどこを見ても写真を飾っています。
楽しかった思い出を想いながら、ありがとうです。
みるくちゃん、13歳8ヵ月だったんですね。
まだまだ若くて可愛い時。楽しい思い出に感謝ですよね。
私もバブーの笑顔の写真を家中に飾って、楽しいお散歩を思い出しながら平常心を保つようにしています。
グサッとくる言葉ですね….。
そして辛い言葉ですね。
多くの方がおっしゃるとおり、このことについて私も正解はないと思います。
自分自身は鼻チューブを挿入してまで延命したくはないですが、eri-ponさんと同様に愛する家族がもう少しでいいから側に居てと望むなら同意すると思います。
残される家族にも心の準備期間が必要だから。
グサッと来ましたね~。
全否定ですから、悲しかったです。
私たちほど愛犬のことを考えている人はこの世にいないのに・・・と思いました。
はじめての投稿ですが、英語学習者、動物好き、乳がん検査に携わる臨床検査技師としても長らくブログを拝見させていただいておりました。。お二人の深い愛情に包まれながら旅立ったバブーちゃん、幸せな幸せな一生でしたね。私も愛犬、愛猫を何度も失ってきたので弱っていく子の側に居る辛さ、葛藤・・本当にわかります。一緒に過ごした楽しい日々を思い出すと、死後何年たっても涙がでます。でも、あくまでも個人的な考えですが、自身も年齢(同い年です(^^))を重ねてきたせいか、死は別れというよりも生命の形のように感じています。あの子たちと同じように、私も自然の一部に帰る日がくるのだ、と。だから、愛する子との別れは「さよなら」ではなく、「またね」の感覚です。お別れまでの3ヶ月は特にお辛かったと思いますが、この日々もバブーちゃんが残してくれた課題というか、気付きでもあったのではないでしょうか。バブーちゃんが側に存在したこと、バブーちゃんと過ごした時間、お二人は大きな財産をお持ちだと改めて思います。
Amiさん、はじめての投稿ありがとうございます。
バブーからたくさんのことを教えてもらいましたし、人生が豊かになったことを実感しています。
辛い時もありましたが、愛犬と過ごした時間が宝物です。
可愛いバブーちゃんのこと
我が家のウエスティ が元気な頃から拝見していました。
うちの子が札幌から飛行機に乗ってやって来た事もあり勝手に同郷のように思っています。
お顔の感じも似ているところも多く
2015年に17歳で虹の橋に旅立った後もバブーちゃんには凄くお世話になったと言うか。
半年寝たきりで途中からシリンジでの食事になり
その時に担当医に「長引きますよ」と言われましたが何も与えずなど無理ですと。
亡くした時は自身の疲れもあり悲しみよりもう自分で出来る事は呼吸だけの身体から解放されたのだからと思いました。
日に日にロスが酷くなり身体の一部を欠いた感覚でして何をしても埋まりません。
今も毎月お寺さんへ供養に行っています。
昨日お花を買いに行きました。
いつものカサブランカとストックを飾りました。
真っ白なたっくさんのストックのお花は
バブーちゃんへ
ありがとうバブーちゃん♡
雪玉沢山つけて遊ぶ姿が印象的な可愛いバブーちゃん
いつか虹の橋で逢いたいです。
パパさんママさん
姿はなくても側にバブーちゃんはいますからね♪
何が正解とかないのだから
家族のかたちなのだからお気になさらずに。
これからもたまにでいいのでバブーちゃんのお写真見せて頂けたら嬉しいです。
雪姫さん、ありがとうございます。
札幌は今日、雪景色に変わりました。バブーが喜んで転げまわっていたことを思い出すとまた涙が出てきます。
雪姫ちゃんのウェスティちゃんは17歳だったんですね。大切にされたからこそ。
公開していない写真もたくさんあるので、バブーとの思い出に浸りながらブログも続けたいと思っています。