今日はとてもショックなことがありました。
かつてお世話になった上司の訃報。
自分が50代になるということは、若い頃にお世話になった上司たちも当然それなりの年齢になるわけで致し方のないことですが、当時の笑顔を思い出すと本当に悲しくて辛い。
何かの本で「50代は喪失の時」と書かれていました。
子供たちが巣立ち、元気だった親は年老いて、自分自身の若さや体力も目に見えて失われる時。
抗いたくても抗えない「喪失の時」。
昨年末のある日、大学卒業後に新卒で入った東京の会社の元上司から突然電話がありました。
私がその会社に入社したのは約30年も前のこと。
2年を待たずに東京を離れ、故郷・札幌で新天地を求めて退職した私に、「元気にやってるか?」と。
同郷の私を思いやり、優しく気にかけてくれていた上司で、毎年年賀状のやり取りだけはずっと続いていたのです。
「今は定年退職して悠々自適、元気にやってるよ」と言っていたけれど、突然電話してきてくれたのは、もしかしたら終活のひとつだったのかな、と思ったり。
喪失の時の50代をいかに乗り切るか。
大きな課題を突き付けられている気がします。
読んで頂けたら↓
コメント
50歳・60歳を越えると、冠婚はなくなり、葬祭ばかり。
周りからどんどん亡くなっていくのが加速して、気づけば明日は我が身のお年頃。
私も父を亡くしていますが、どう頑張っても次は母。
ふと思い出すとこわいです。
乗り切る手立てが見つかると良いですが。
冠婚はなくなり、葬祭ばかり・・・。
今、まさに実感しています。
自分自身の今後も含めて、ふと思い出すと怖いです。
「50代は喪失の年」、確かにそうかもしれませんね。
私も50代に親や親友、義姉など多くの大切な人たちを見送りました。
あるとき、尊敬していた元上司から突然、年賀状が届きました。
役職上、毎年大変な数の年賀状を出されていたので、そうしたやり取りは遠慮していたので初めてのことです。
仕事への労いや今後の活躍を祈る内容に、退職後も変わらぬ温かな気遣いをうれしく思ったのですが、達筆だった筆跡に少し乱れがあったのが気になりました。
程なくその方の訃報を知りました。あれはやはり終活だったのだなと。
達筆だった筆跡の乱れ・・・。きっと、その方の終活だったのですね。
元気なうちに会いたい人に会って、お世話になった人には感謝の気持ちを素直にちゃんと伝えたりするのって大事だなって改めて思いました。
もと上司の訃報を聞いて、仕事や人生のことを考えさせられています。
社会人最初の上司って、よく覚えているものですよね。厳しい事いっぱいあったのに、いい思い出ばかり残ってたり。そんな上司の訃報は悲しいですね。50代は喪失の時…まさにその通りですね。同時にそれを乗り越えて更に心が強くなる年齢でもあります。お互い乗り越えていきましょう!
「乗り越えて更に心が強くなる年齢」、とてもいい言葉。
昨日からずっと落ち込んでいましたが、メッセージを読んで前向きな気持ちになることができました。
50代の誰もが通る道。しっかり乗り越えて強くならないといけませんね。