乳がんの手術から2年

今日は4月24日。

この日付、なんだか見覚えが・・・、と思ったら、2年前に乳がんの手術をした日でした。

今思えば、あの頃は人生のどん底にいましたね。

血縁関係に乳がんはひとりもいないので、まさか自分が・・・と。

最悪のケースを想像して、万一、余命宣告をされたら、私の命があるうちに家を処分して、ポールをイギリスに帰国させて家族の元に返さねばとまで思っていました。

そんな計画を立てながら、抗がん剤治療が始まった時のことを考えて、夜な夜なウィッグを探したりしていた頃。

幸いなことに最もやさしいタイプの乳がんで、手術後に受けた放射線治療で髪が抜けることもなく、今は元気で以前とまったく変わらない生活を送ることができています。

去年の暮れに、病気とは無縁だった47歳の従妹が大動脈瘤解離で亡くなりました。

今も私たち家族はその喪失感から立ち直れずにいます。

死を考える時、「期限付き」と「突然」、自分にとって、家族にとって、幸せな最期はどっちなんでしょう。

「死と向き合う時間」がある方がいいのか、ない方がいいのか。

私は残された家族のことを想うと「ある方」を選びますが、難しいテーマですね。

 

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コメント

  1. 難しい問題ですし、自分では選べないですよね。時間がある場合は、見送る側の心の準備ができると思います、が、段々弱っていく愛する人を見るのは辛い。突然亡くなるのは悲しいし、心の準備が出来ていないので辛い、けど諦めもつく。
    私の父は老衰で寝たきりで、半年後に亡くなりました。母は心の準備が出来たみたいです。母本人は認知症が進み始めた頃、突然亡くなりました。悲しかったけど、認知症で壊れていく母を見るのは忍びなかったので、今となっては良かったのかなと思ってます。人の死は、その受け止め方も様々で、永遠のテーマですね。

    • おっしゃる通り。死は選べないだけに永遠のテーマですよね。
      私の父は急死でした。しかもお正月に。
      その時は、人間ってこんな風にある日突然人生を終えてしまうんだ、って思いましたが、父が痩せ衰えて行く姿、認知症で壊れていく姿を見ることがなかったのは、子供にとってはありがたいことなのかもしれないと思うようになりました。
      命日がお正月ってことは、仕事をしている子供たちもみんな集まれますし・・・。いろいろ考えてくれていたのかな、なんて思ったりもしましたね。

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