父が急死してから2週間。
頻繁に実家に帰って母とできるだけ多くの時間を過ごしています。
父には大好きだった日本酒とお花、母には大好きなお菓子をいっぱい買って。
ゆっくりお茶を飲みながら、父の話や家族5人で一緒に暮らしていた子供の頃の話をたくさんして。
母と娘で少しずつ時間をかけて心のメンテナンスをしているところです。
40年以上も一緒に生活してきた伴侶を突然失った母の辛さは想像を絶するものがあり、いつもは太陽みたいに朗らかで明るい母が、さすがに見ているのが辛くなるほど憔悴しきっているのです。
溺愛している孫の来訪も「せっかく来てくれても、一緒に遊んであげることができないから」と拒むほど、エネルギーを失くしています。
ある朝、いつものようにご飯を炊いて、炊きたてのご飯を父のお供え用の小さな器に盛ろうとしたとき、「どうしてこんなに小さな器に・・・」と思うと急に悲しみが溢れてきて、母はひとりで声をあげて泣いたそうです。
「メタボ」を気にしていた父のご飯はいつも「八分目」だったから、「もうそんなこと気にしなくていいの」と。
私たち3人の娘は、それぞれ夫がいて、家があり、仕事があります。
親元を離れて暮らし、20年以上もいつもの生活の中に「父」がいなかった私たちは、自分たちの家に戻ると、以前と変わらない「いつもの生活」が待っていて、仕事をしていると気が紛れます。
だけど、母には以前と変わらない「いつもの生活」は、もうないのです。
戻ろうとしても戻れないのです。
朝起きてから寝るまでのすべての行動が、寂しさと痛みを伴います。
見た目ではわからない深い心の傷。
今はそんな母を見守ることしかできず、娘は切ないのです。
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コメント
eri-ponさん、こんばんは。
eri-ponさんとバブちゃんの大ファンです。
お父様のご訃報を知ったときから、心配で心配でコメントしたかったのですが、文才がないため思いが伝えられずかえってご迷惑をお掛けするのでは、と我慢していました。
でも思い切ってメールします。
私の両親は遠く離た田舎で二人で暮らしています。
父は認知症で他にも病があり、母が独りで自宅で老老介護しています。
毎月3,4日帰省して母の手助けをしているのですが、母の介護の仕方が心許なくいつも母を責めるようなことを言ってしまい後味の悪い思いと、行く度に目に見えて衰えていく父をずっと看病できないつらさでいつも帰路の新幹線で涙していました。
eri-ponさんの悲しさ、つらさは、まだ親を見送っていない私にもひしひしと伝わりました。
そして、eri-ponさんのブログが、そしてみなさんのコメントが気づかせてくれました。父を看病している母が一番つらいんだと、子供が親に何をしたかではなく顔を見せるだけで親孝行なんだと、そしてそれは時間の長さではないんだと。
これからは、母に微笑んで話せそうな気がします。
父にもやさしい気持ちで看病できそうな気がします。
eri-ponさんが悲しみの中から絞りだすように書かれたブログで、誰もが自分の親のことに思いをはせ、何かを感じ取ったと思います。
こんなときにこんなことを言うのは不謹慎かも知れませんが、eri-ponさん、ありがとうございます。
とんちんかんな拙い文章でごめんなさい。
お母様とeri-ponさんのご健康を心からお祈りしています。
お父様を亡くされて辛いのにお母様の憔悴しきっている姿をみるのは
更に辛いですよね。
でも、eri-ponさんが頻繁に来てくれて
お父様との思い出話をしてくれたりして
同じ気持ちを分かち合えている事が
お母様にとってはどんなに救われていることか・・・。
見守る事しかできないっておっしゃっていますが
それこそが大事で、近くで寄り添っていることこそ
親孝行していると思いますよ。