夕刊休刊

今年9月30日をもって、毎日読んでいた道新の夕刊が休刊になりました。

世の中のデジタル化を思うと致し方のないこと、時代の流れそのものだと思いますが、日曜日以外は毎日届いていた夕刊がもう届かなくなるなんて・・・。

他に読むものはたくさんあって読み切れないのが実態ですが、そんな中、毎日届く紙の新聞は、知っておくべき情報が詰め込まれていて、「これさえ読んでおけば大丈夫!」と思わせてくれる、世の中と目線を合わせるために必要なツールなので隅々まで読んでいます。

そうじゃないと、私の場合、エンタメとかファッションとか、そんなお気軽なものしか読みませんから・・・。

ちゃんと大人として、社会人として、知っておくべきことは知っておかなくちゃ。

それを助けてくれるのが新聞。

そんなことを考えていて思い出したのが、下町ロケットの小説のモデルになった植松務さんが日本の学問・教育について語った言葉。

「学問とは、誰かに評価されるためのものではなく、社会の問題を解決するためのもの。

教育とは、失敗の避け方という要領の良い生き方を教えるものではなく、死に至らない失敗を安全に経験させるためのもの。

僕は、この二つを心に刻んでいます」。

新聞を読み続けるというのは、学問や教育と同じで、

「社会の問題を解決するためのもの。人の能力を高めるためのもの」。

夕刊の休刊に際し、そんなことを思いました。

 

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コメント

  1. え、道新の夕刊無くなるんですか?大都市なのに。地方紙では夕刊が無くなる話よく聞きます。朝日の夕刊もいつ無くなるか…
    現代人はエンタメ系には強いですが、とかく政治や経済となると、途端に話題が途切れます。それ、自分の考えがない証拠。
    植松さんの言う通りですね。新聞の知識は「生きていく方法」がいっぱい書かれていると思います。右寄りだ、左寄りだと、各新聞を揶揄する評論家もいますが、そんな輩は勝手に言わせておいて「自分の意見、考え」を固める知識を新聞は教えてくれると思います。この文化は電子化しないで欲しいなあ。
    ちなみに古新聞は色々使えるから最後まで重宝します。時々、部屋の整理して昔の新聞に夢中になっちゃうあるある、ありますよね😁

    • 道新の夕刊、10月からなくなってしまいました。地方紙は続々と夕刊をやめているので、道新も。
      私もATSUSHIさんと同感で、新聞を読むのは「生きていく方法」、「サバイバル」知識を身につけるためだと思っています。
      夕刊ないと寂しいです。あの薄さがまた私的には読みやすくて良かったのですけれど・・・。
      部屋の整理で、昔の新聞に夢中になるの、あるあるですよね。
      今年、田舎の農家さんからアスパラが送られてきたとき、包装に使われていたのが20年前の新聞で思わず夢中になって読みました。

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