先日の、妹の義父の葬儀でのこと。
親族で、妹のお義父さんのこともよく知っているので、もちろんポールも一緒に行った。
しかしながら、妹の夫の親族にとっては、私はもちろん、ポールは「お初」。
恐らく多くの人が、「なぜ、ここに外人が?!」と思っていたに違いない。
火葬場に行くと、他の家族のみなさんまで、「なぜ、火葬場に外人が?!」という目でポールを見ていた。
ポール自身は日本に住んで長く、すでに「好奇の目」に晒されることに対してはすっかり慣れっこ。
本人が苦悩していたのはそこじゃない。
いわゆる、日本の葬儀の、儀式のこと。
収骨の時、ポールは参加するのをためらった。
お箸を使えるかどうかの問題ではない。
ポールは私よりもずっと、お箸の上げ下げが美しい。
問題だったのは、自分は仏教の信者ではない、ということ。
だから、自分が儀式に参加することが、「歓迎されること」なのか、宗教への「侮辱」になるのか逡巡があったためだ。
ポールは私の父の葬儀で、思いがけず重要な役割を担うことになった。
3姉妹の我が家の、長女の夫が仕事の都合でどうしても参列できなかったため、一連の葬儀の流れの中で、家族の中で年長の男子であるポールが、親族を率いて行かなければならない瞬間があった。
しかも手に持たされたのは、供物の「お米」。
ポールは普段パンしか食べないのに、修行僧のように手に「お米」を持ち、喪主に続いて、静かに歩いていたけれど、あの時の違和感と言ったらもう・・・。
本当に気の毒なことをしてしまった。
私がポールの母国イギリスで、そんな立場になったらと想像するだけで絶句。
無理。
逃げ帰りたい。
宗教儀式は、配偶者の国の文化を知るうえで重要な機会であると同時に、苦悩する瞬間でもあるのは間違いない。
国際結婚で、私が今、母国に住むことができるのは、理解あるポールの協力のお陰。
文化に同化したいと思いながら苦悩するポールを支えるのが私の役目だと改めて。
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