今日も動物病院に行ってきました。
前回処方してもらった4日分の皮下点滴と流動食がなくなったので、今日は経過観察とバブーの「命をつなぐ」セットの補充が目的です。
5日前に3.9㎏だった体重は4.5㎏まで増えて、先生曰く、「正直、もうダメかな」と思ったという脱水症状もかなり改善されているとのこと。
この調子で治療を続けてみましょうということで、今回処方されたのは2週間分の皮下点滴と流動食、抗てんかん薬と痙攣発作が起きた時の座薬です。
口から食べてくれることを願って、病院で販売していた「ちゅ~る」も数本買ってみました。
先生から言われたのは「ふかふかのベッドに寝かせて、床ずれが起きないように3~4時間ごとに寝返りをさせてあげること」と、「痙攣発作が5分以上続いたら、病院にすぐに連絡してください」ということ。
前回、バブーのような状態のターミナル期の高齢犬のケアには、いろいろな方法があると先生から説明を受けました。
1.特別なことは何もしない、2.シリンダーを使った口からの強制給餌、3.鼻からチューブを入れる強制給餌、4.胃瘻チューブ、5.病院や自宅での輸液の点滴、そして、はっきりとした言葉では言わなかったものの、苦痛が酷く回復の見込みがない場合は他の選択肢もあるー、という内容でした。
説明を受けながら、これ以上バブーに苦痛を与えたくない一心で、「1.特別なことは何もしない」を選択しようと考えていました。
夫も私と同じ気持ちだろうと思い、そう伝えると、夫は大反対。
先生の説明を聞きながら、夫は「3.鼻からチューブを入れる強制給餌」と「5.自宅での輸液の点滴」しかないと考えていて、それぞれ頭の中ではまったく別の方法を選択していたのです。
私:「強制給餌とか点滴とか、こんなに弱ってるバブーに、さらに痛くてつらい思いをさせるなんてかわいそう。あとはこのまま『自然に任せて』、自宅で穏やかに最期を迎えさせてあげたい」。
これに対して、夫が猛反対。
夫:「『自然に任せて』っていうのは、バブーが餓死するまで黙って見てるってこと!?そんな酷なこと絶対にできない。それなら、今ここで”put to sleep”(安楽死)を選ぶべきだ」。
それに対して私が大反対。
私:「”put to sleep”(安楽死)なんて絶対ダメ。食べないのは命の終わりが近づいているからで仕方のないこと。このままそばで静かに見守って天寿を全うさせてあげたい」。
夫:「バブーは『食べない』んじゃなくて、『食べることができない』んだよ。空腹で死ぬことがどれだけつらいか想像できる? 何もせずに苦しむのを見てるだけなんて絶対にできない。点滴と強制給餌を試してみるか、”put to sleep”(安楽死)か、そのどちらかしかない」。
バブーの血液検査の結果を待っている間に、このやり取りがあって、自宅でできる「点滴と強制給餌」を試してみることに決めたのです。
夫の母国イギリスでは回復する見込みのない高齢ペットの”put to sleep”(安楽死)は珍しいことではありません。
文化の違いといいますか、私は自然死が愛犬のためだと思っているのですが、夫は「何もせずに」自然死を待つ方がよっぽど残酷だという真逆の考え方。
イギリスは「女王陛下からならずものまで」犬が大好きな国民性で動物愛護の先進国ですが、だからこそ、愛犬の”クオリティー・オブ・ライフ”=「犬が犬らしい生活をして幸福なこと」を優先することが飼い主の役割という考え方がベースにあります。
日本のように「安楽死は最終手段」という認識はまったく持っていないのです。
この話は、バブーがこれまで何度か大きな手術をして生死を彷徨ったときにいつも夫婦で話し合ってきたことで頭ではわかっていたつもりですが、本当に重過ぎて、今も答えが見つかりません。
そして、この話は、まだここでは終わりません。
点滴と強制給餌をはじめて4日目、残念ながら、明らかな回復の兆しはほとんど見えません。
目は開いていることもありますが、呼びかけても無反応。
寝たきりで時々苦しそうな表情を見せ、小さな痙攣が起きているように見える時もあります。
そんな姿を4日間見続けた結果、気持ちが大きく揺らぎ、今朝、病院に行く前、夫に複雑な気持ちを打ち明けました。
「私が”put to sleep”(安楽死)なんて絶対にダメって反対して、点滴と強制給餌を試してみたけど、バブーは強制的に生かされているだけで見ているだけでかわいそう。私は明日から仕事で、ポールがひとりで面倒をみることになるし、”put to sleep”(安楽死)も考えた方がいいかもしれない。この治療を続ける意味があるのかどうか、今日、もう一度先生に相談してみようか」。
夫は、「そうだね」って頷くかと思いきや、
「たった4日で諦めたらダメ。こういう治療は効果がでるまで時間がかかるもの。少なくとも2週間はかかると思った方がいい。僕たちは治療をすると決めたんだから、頑張って続けてみなくちゃ。仕事が始まることだって前から分かってたことだし、僕がちゃんと看るから大丈夫。そのつもりだから心配ない。すべてアンダー・コントロール!」って、逆に怒られました。
長くなりましたが、愛犬の最期を迎えるまでの気持ちがどう揺れ動いているのか、頭の中を整理したくてこれまでの経緯を書き留めてみました。
愛犬がどのような最期を迎えるとしても、そのあとに待っているのは途方もない喪失感、悲しみであることに変わりはありません。
それを思うと、葛藤し悩みながらも回復を願って精一杯のことをしてあげられる時間が与えられていることがとても貴重に思えます。
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コメント
病院で2週間分の処方をされたということに、光明を見た気分です。
先生も効果を実感しているのでしょうね。
自然に任せる=衰えるのをただ待つ、という見方もあるのですね。
私の場合は、動物が食べない選択をした=本能で必要としていないからだ、という考え方
に共感したからでした。
人によって、日によって、その時その時で気持ちは揺れ動くのでしょうが、
信じてやっていくだけですね。
食べない、食べさせるの是非ではなく、その結果穏やかに過ごせているかどうか。
それだけだと思います。
私もチョビマロ母さんと同じ考え方です。
文化の違いといえばそうですが、バブーの本能を尊重すべきだと考えていましたし、今なおその思いはあります。
自然に任せることが愛犬を餓死させることという認識もまったくありませんでした。
でも一方で、ポールの言うこともわかります。
できることなら、バブー本犬がどうしたいのか、聞きたいですが、私の願いはただひとつ。
苦痛を感じていないこと、それに尽きます。
えりさん
初めてコメントさせて頂きます
我が家は昨年、あと2ヶ月で17歳になるはずでしたパーソンラッセルテリアを神様にお返し致しました
迷うこともたくさんありましたが、「犬は最後まで諦めないのよ」と言うお言葉を掛けられ
元気だった子が弱っていく姿を見る心配と自分の辛さ、と向き合う事に致しました
最後まで皮下点滴とシリンジでの流動食を黙って受け入れてくれ、私達のために頑張ってくれたと思います。
コロナ禍で夫が毎日家にいた事も、よく話を聞いて一緒に考えてくださった獣医さんのおかげもありました
どんな選択をしても必ず何かしらの後悔はあると思いますが絶対にわかってくれると今は信じています
昨年の自分のことを思い出しコメントさせて頂きましたが、余計なことごめんなさい
えりさん、ポールさんくれぐれもお身体お厭い下さい
Norikoさん、初コメントありがとうございます。
余計なことなんて、とんでもない。
こういう経験者のコメントこそがありがたいです。
私にとってはバブーが人生最初で最後の愛犬。
バブーに起きるすべてのことが、私にとって初めての経験なので、経験者のアドバイスが心からありがたいです。
どんな方法を選択したとしても後悔はある。
おっしゃる通りだと思います。
そのことを肝に銘じつつ、バブーに残された時間を精いっぱいの愛情で見守りたいと思います。