TOEIC900を目指す意味

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長い間、TOEIC900点を超えることが目標だった。

900点を超えたら、どんな世界が見えるんだろう、とずっと思ってた。

そして3年前の春に悲願達成。

自分の目標にようやく手が届いて喜んでいたけれど、英語が自分の思うように使えるようになったかというと決してそうじゃない。

リスニングで満点を取っても、英語が全部聞き取れるわけじゃない。

達成しても、見える世界は特に変わらなかった。

取得してから気づいたのは、TOEIC900点が日本では「過大評価」されているということだ。

世の中にはTOEIC不要論も多く出回っている。

ハイスコアでも、海外ではまったく使い物にならないと。

それは実体験をもってよくわかる。

でも、今思えば、私にとってTOEIC900点を取得した意味はやっぱりとても大きかった。

明らかに、見える世界が「変わる」きっかけになった。

・・・というのは、ここを通過したあたりから、英語に自信が出てきた。

実際に使えるかどうかはさておき、スコアだけで見ると、日本の全受験者の中で上位3パーセントに入ることになり、気持ちとしては「自分は英語が得意なんだ」と思えるようになる。

そして、だ。

その頃から、英語に関する「むちゃ振り仕事」が回ってくるようになってきた。

私にとっては「むちゃ振り」だけど、依頼する方にしてみれば「できて当然」。

本当は自分の実力を考えたら断ってしかるべきなのに、一丁前のプライドが出て、チャレンジしてみたくなる。

そして、「TOEIC900点持ってるのに、まったくダメじゃん」、と思われないように、事前の準備を含めてとにかく精一杯頑張ってみる。

でも、所詮、未熟者は未熟者。

自分の実力以上のことにトライして、赤っ恥をかいて、ちょっとだけ出てきた自信はすぐに打ち砕かれる。

でも、そのたびに深く反省して、次回こそ落ち込まないようにとさらに勉強する。

この繰り返しがずっと続いてる。

結局、「できません」と言わないために、ぶっちゃけ「見栄」のために、自らを追い込んでいかざるを得なくなる。

世の中の人が思うようなTOEIC900点にふさわしい、「英語ができる」人であろうと努力せざるを得なくなる。

こういう常に「崖っぷちな」状態が、自分の英語力を高めてくれているのは間違いない。

失敗から学ぶことは多い。

「失敗は挑戦の産物」に過ぎないのだから、失敗したら、ちゃんと認めて分析して、次の課題を練る。

そして、楽観的に前進する。

TOEICに限らず何かの資格でも、不要論を言う前に、高得点を目指して取得したその先に、こういうポジティブなサイクルがあることは無視すべきではないと思う。

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