47歳の早過ぎる死

いとこの葬儀で旭川に行ってきました。

まだ47歳。

死因は大動脈解離。

今週月曜日。

いつものように会社や学校へ家族を送り出した後、家の前の雪かきをしていた時に激しい腰痛に見舞われ、異変を感じて近くに住む母親(私の叔母)に電話。

叔母が駆け付けた時には、動くことができず玄関に腰かけた状態で、「ただの腰痛だと思うから」と、少し様子を見ようと話していたところ、みるみるうちに容体が急変。

病院に行こうと叔母が救急車を呼び、到着までの間、電話で救急隊の指示を受けながら懸命に心臓マッサージを施したものの、そのまま亡くなってしまったそうなのです。

病気ひとつしたこともなく、健康そのものだったのに・・・。

棺に花入れの時、娘の冷たくなった顔を愛おしそうに撫で、絞り出すような声で何度も何度も名前を呼んで棺にすがりつき、顔を近づけて泣いている叔母の姿が悲しくて痛ましくて、涙が溢れました。

その直前まで元気だった娘が、自分の目の前で死んでいくのを見ていたこと、足腰が弱り、痩せて腰も曲がった70代の叔母が、救急隊の指示で、今まで一度もしたことのない心臓マッサージを懸命にしている姿を想像すると、かける言葉がまったく見つかりませんでした。

実は今回亡くなったいとこの父親(私の叔父)も58歳で急死しているのです。

ブログを長く続けているので、今から16年前に、その時のことを「家族」(←記事はココをクリック)というタイトルで書いていました。

2006年1月に叔父の葬儀に参列したときのことを書いた、この記事の中に出てくる「長女」がいとこ。

そして、今回、遺族を代表して挨拶をしたのが、叔父家族の明るい未来に見えた「小さな男の子」。

当時4歳で、今は二十歳になった長男なのです。

挨拶の中で、いとこが、テストの前や受験の時は、いつも「頑張って」って、手が痛くなるほど力のこもったハイタッチをして息子を送り出していたこと、医大に合格した時には、「心から誇りに思うよ」というメッセージを送っていたことをエピソードとして涙ながらに披露してくれました。

ブログを書いた時にはまだ生まれていなかった長女は高校1年生。

スラっと背が高くて細面、髪がサラサラで長く、いとこにとてもよく似た美人さんに成長していました。

祭壇に飾られていたのは、今年の春に撮った、長女の高校入学式の時の、着物姿の素敵な笑顔の写真で、16歳の長女と姉妹に見えるほど若くキラキラ輝いていました。

「朝には紅顔ありて、夕べには白骨となれる身なり」。

あまりに突然の、あまりに早すぎる死に、

何気ない日常は当たり前じゃないことを思い知らされています。

 

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コメント

  1. 二度も先立たれる辛い思いをするなんて。
    言葉もありません。
    せめて順番だけは守っていきたいですね。

    • 本当におっしゃる通りだと思いました。
      子を先に亡くすことほどつらい人生はないんじゃないかと。
      叔母の姿を思い出すたびに泣けてきます。

  2. バブーちゃん、そして大切な身内を続けて失うのはとても辛いですね。
    私の高校時代の親友と優しい義姉は47歳、48歳で亡くなりました。
    二人とも突然死ではなく癌でしたが、明るく楽しい人たちで「私たち絶対長生きするよね!?」って笑っていました。
    その後も何人も大切な友人、身内を見送りましたが、まだこれからという時に大切な家族を残して逝く無念さを思うと胸が苦しくなります。
    40代後半は腰痛や頭痛、疲労感などの不調を感じる一方、まだ肉体的には若いとの思いもあり「これって更年期あるあるかな?」と見過ごしがちです。
    突然死と思えるものでも事前に予兆があって、それを病気の前兆と疑うか見過ごしてしまうかだという人もいます。その人が持っている運、不運もあるんだよ、とも。
    でも、すべては結果論ですよね。不条理ですが。
    ここ数年間はコロナで大切な家族を看取ることも叶わず亡くされた方たちも多いと思うと「元気な今できることやりたいことは即、やろう!」と思ってしまう自分がいます。

    • いちご大福さんも、親しい方たちを40代後半で亡くされているのですね。
      40代後半、まだまだこれから。
      子供たちの成長と活躍をどれほど楽しみにしていたかと思うと無念でなりません。
      今、自分がこうして生きていることは幸せなこと。
      今のうちに、会いたい人に会って、やりたいことをやっておかなくちゃ、とつくづく思いました。

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